Warning: Undefined array key 0 in /home/users/0/lolipop.jp-dp52098645/web/osanpo/research/saijin_location_search.php on line 17

Warning: Undefined variable $local_area in /home/users/0/lolipop.jp-dp52098645/web/osanpo/research/saijin_location_search.php on line 24

出典:国土地理院

御祭神の素戔嗚尊についてお話しするのじゃ。
黄泉國から戻ったイザナギが筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓みそぎはらいをした時に現れ出た神で、生みの親が伊邪那岐命じゃ。ご神徳と得意分野は、

  • 疾病・感染症の予防に強い神徳がある
  • 子孫代々繁栄
  • えぇ。昔はだいぶヤンチャしてました。みんなにも迷惑を掛けました。でも今はもう落ち着きました。大丈夫です・・・的なアレ
じゃな。今宮神社などにてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
ちなみにこの枠は左下の▼で非表示にできるぞ。

狐っこの
にゃんこきつね
【禊祓】イザナギの体の一部から

たけはやすさのおのみこと/すさのおのみこと

建速須佐之男命/素戔嗚尊

Takehayasusanoo-no-Mikoto

古事記に於ける名前の表記

健速須佐之男命たけはやすさのおのみこと建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと建速須佐能男命たけはやすさのおのみこと須佐之男命すさのおのみこと

日本書紀に於ける名前の表記

神素盞嗚尊かみすさのおのみこと素戔嗚尊すさのおのみこと素戔男尊すさのおのみこと速素盞鳴尊はやすさのおのみこと須佐乃袁尊すさのおのみこと

先代旧事本紀に於ける名前の表記

建速素戔烏尊たけはやすさのおのみこと素戔烏尊すさのおのみこと速素戔烏命はやすさのおのみこと速素戔烏尊はやすさのおのみこと

古語拾遺に於ける名前の表記

素戔嗚神すさのおのかみ

新撰姓氏録抄に於ける名前の表記

素佐能雄命すさのおのみこと素戔嗚命すさのおのみこと

同神とされる名前の表記

居茂利大神こもりのおおかみ杵築大明神きづきだいみょうじん氷川大明神ひかわだいみょうじん

上記以外の文献または由緒書き等に於ける名前の表記

健速須佐之男尊たけはやすさのおのみこと健速須佐之男神たけはやすさのおのかみ八坂大神やさかおおかみ建速素佐嗚命たけはやすさのおのみこと建速素盞嗚命たけはやすさのおのみこと建速素盞嗚尊たけはやすさのおのみこと建速素盞鳴命たけはやすさのおのみこと建速素盞鳴尊たけはやすさのおのみこと建速須佐之男大神たけはやすさのおのおおかみ建速須佐之男尊たけはやすさのおのみこと建速須佐之男神たけはやすさのおのかみ建速須佐男命たけはやすさのおのみこと建速須佐男神たけはやすさのおのかみ建速須佐鳴神たけはやすさのおのかみ建速須素男命たけはやすさのおのみこと津島大神つしまのおおかみ神速須佐之男命はやすさのおのみこと神速須佐能男命はやすさのおのみこと神須佐之男命かみすさのおのみこと神須佐能袁命すさのおのみこと素佐之男命すさのおのみこと素佐之男尊すさのおのみこと素佐之男尊奇魂すさのおのみことのくしきみたま素佐男命すさのおのみこと素佐男尊すさのおのみこと素佐男神すさのおのかみ素戔嗚命すさのおのみこと素戔鳴尊すさのおのみこと素淺鳴命すさのおのみこと素盛嗚命すさのおのみこと素盞嗚すさのお素盞嗚命すさのおのみこと素盞嗚大神すさのおのおおかみ素盞嗚尊すさのおのみこと素盞嗚神すさのおのかみ素盞烏命すさのおのみこと素盞男命すさのおのみこと素盞男尊すさのおのみこと素盞雄命すさのおのみこと素盞雄尊すさのおのみこと素盞鳴命すさのおのみこと素盞鳴大神すさのおのおおかみ素盞鳴尊すさのおのみこと速素盞嗚命はやすさのおのみこと速進雄命はやすさのおのみこと速須佐之男命はやすさのおのみこと速須佐之男尊はやすさのおのみこと速須佐之男神はやすさのおのかみ速須佐男之命はやすさのおのみこと速須佐男命はやすさのおのみこと速須盞男命はやすさのおのみこと進雄命すさのおのみこと須佐之男大神すさのおのおおかみ須佐之男尊すさのおのみこと須佐之男神すさのおのかみ須佐男之命すさのおのみこと須佐男命すさのおのみこと須佐能乎命すさのおのみこと須作之男神すさのおのかみ須左之男大神すさのおのおおかみ須戔男之命すさのおのみことetc...

系譜
概要

日本神話において荒々しい性格と英雄的側面を併せ持つ特異な神である。その出自は、父神の伊邪那岐命いざなぎのみことが黄泉の国から帰還した際に禊ぎを行ったとき、鼻を洗った際に生まれたとされる。姉神の天照大神あまてらすおおみかみ、兄神の月読命つくよみのみこととともに三貴子さんきしの一柱に数えられている。

父神の伊邪那岐命より海原の統治を任されるものの、母の伊邪那美命のいる根の国に行きたいと、常に泣きわめいたために追放された。姉である天照大神に暇乞いをしようと高天原に昇ってくるが、今さら何の目的でやってきたのか天照大神は大いに怪しんだ。そして、素戔嗚尊は自らの純粋な心を証明するために、天照大神と誓約うけいを行った。結果的に、勝ちを確信した素戔嗚尊は、天照大神が治める高天原たかまがはらで乱暴をはたらき、田の畔を壊したり機織り小屋に皮を剥いだ馬を投げ込んだりしたことで、姉神を怒らせ、天岩戸あまのいわとに隠れる原因を作った。この事件により、素戔嗚尊は高天原を追放されることとなったのである。記紀で言うところの「神逐かんやらい」である。

高天原を追放された素戔嗚尊は、出雲の国に降り立った。そこで、足名椎命あしなづちのみことと手名椎命てなづちのみことという老夫婦が、娘の櫛名田比売くしなだひめを八岐大蛇やまたのおろちに食べられてしまうことを嘆いているのを知る。素戔嗚尊は、この怪物を退治する代わりに櫛名田比売を娶ることを約束し、毒酒で大蛇を酔わせて見事に討伐した。その大蛇の尾からは、天叢雲剣あめのむらくものつるぎ、すなわち後の草薙剣くさなぎのつるぎが見つかり、彼はこの剣を天照大神に献上している。

生贄として捧げられそうになっていた姫を助けるというファンタジーな話だが、実は、荒くれ者の土着民族を討伐した話、あるいは、自然災害を治めた話の寓話化とも言われている。

大蛇退治の後、櫛名田比売と結ばれた素戔嗚尊は、出雲に新居を構え、以下の和歌を詠んだ。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(八重に雲が立ち昇る出雲の国に、妻を迎え入れるために、幾重にも重なる八重垣のような立派な宮殿を築く。ああ、この素晴らしい八重垣を。)

この和歌は日本最初の和歌とされている。

その子孫には、後に国造りを行う大国主命おおくにぬしのみことと続く。

さらに詳しく・・・

【素戔嗚尊と天照大神の誓約うけい】

誓約うけいとは、素戔嗚尊が姉の天照大御神と潔白を証明するために行った占いの一種である。

素戔嗚尊は父神の命に背き、母神のいる根の国へ行きたいと泣き叫び、ついに追放されることになった。彼は根の国へ向かう前に姉の天照大御神に会うことを望み、高天原へと昇っていく。その様子を見た天照大御神は、弟が来るのを不審に思い、高天原を奪いに来たと誤解した。そこで、武装して素戔嗚尊を迎え撃つ構えを見せたのである。

素戔嗚尊は自身の潔白を証明するため、天照大御神に誓約を提案した。その方法は、互いの持ち物から子を産み、その子の性別で心を占うというものであった。まず天照大御神が素戔嗚尊の剣を三段に打ち折り、天真名井あまのまないの水で清めて噛み砕き、息吹いた霧から三柱の女神(多紀理毘売命たきりびめのみこと、市寸島比売命いちきしまひめのみこと、多岐都比売命たきつひめのみこと)が生まれた。

続いて素戔嗚尊が天照大御神の八尺の勾玉の五百箇御統やさかのまがたまのいおつのみすまるを、天真名井の水で清めて噛み砕き、息吹いた霧から五柱の男神(正哉吾勝勝速日天忍穂耳命まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと、天之菩卑能命あめのほひのみこと、天津日子根命あまつひこねのみこと、活津日子根命いくつひこねのみこと、熊野久須毘命くまのくすびのみこと)が生まれた。

この結果をもって、素戔嗚尊は自らの心が清いから女神が生まれたのだ、と勝利宣言をする。・・・いや、素戔嗚尊が生んだのは五柱の男神のほうではないか?という一種のモヤモヤしたお気持ちになる方は多いだろう。そしてこの後、それぞれに生んだ子を交換してしまう。その結果、天照大御神から初代・神武天皇に繋がるといえばその通りなのだが、正直、何を持って勝ち負けとするのか、結局どっちが勝ったのか、よく判らないまま話が進んでしまう・・・。

【素戔嗚尊が犯した天津罪】

誓約うけいを終えた素戔嗚尊すさのおのみことは、自身が清い心を持っていると勝ち誇り、高天原で好き放題に暴れ出す。

  • 畔放あはなち:姉の天照大御神あまてらすおおみかみが営む田んぼの畔を壊し、
  • 溝埋みぞうめ:水の通り道を埋めてしまった。
  • 樋放ひはなち:さらに、水を引くための樋といを壊してしまう。
  • 頻蒔しきまき:その上に、田に種を繰り返し撒いてしまう。
  • 串刺くしざし:そして、田に杭などを打ち、所有権を侵害する。
  • 生剥いきはぎ・逆剥さかはぎ:神聖な機織り小屋で神衣かむみそを織らせているところに、素戔嗚尊は皮を剥いだ馬を投げ込み、機織りをしていた天服織女あめのはたおりめは驚きのあまり、機はたの梭ひが陰部に刺さり死んでしまう。
  • 屎戸くそへ:天照大御神が新嘗の祭りで奉る神聖な殿舎に糞をまき散らした。
これらの悪行に対し、天照大御神は心を痛め、ついに高天原の主神でありながら、天岩戸あまのいわとに引きこもってしまった。太陽神である天照大御神が隠れたことで、世界は闇に包まれ、昼夜の区別もつかなくなり、様々な災いが発生した。八百萬やおよろずの神々は天照大御神を岩戸から出すべく、様々な知恵を絞ることになる。これが天岩戸伝説へと繋がる。

また、これらの悪行は天津罪として、大祓詞という祝詞の中で奏上される。

【素戔嗚尊の罪と罰】

神々は天照大御神を岩戸から引き出すことに成功した後、素戔嗚尊に対する処罰を決定した。まず、彼は千座置戸ちくらのおきどという多額の償いとして神々へ品物を納めることを命じられた。これは、彼が神々の田の畔を壊したり、神聖な殿舎を穢したりしたことに対する賠償であった。

さらに重い罰として、素戔嗚尊は髪の毛と髭を剃られ、手足の爪をすべて抜き取られるという屈辱的な刑に処された。これは、神としての力を奪う意味合いを持つ厳罰であった。神話において、髪や爪は霊力や生命力を象徴するとされ、それらを奪われることは、神としての神格や尊厳を深く傷つける行為であった。

最後に、彼は高天原から永久追放されることとなった。行くべき場所を失い、地上へと追いやられた素戔嗚尊は、その後に出雲の地へと降り立つこととなる。この高天原追放によって、彼は神々の世界から離れ、人間の住む世界で新たな物語を始めることになったのである。

【素戔嗚尊と八岐大蛇】

高天原たかまがはらを追放された素戔嗚尊すさのおのみことは、地上に降り立ち、出雲国の斐伊川ひいかわの上流へとたどり着いた。そこで、彼は泣いている老夫婦、足名椎命あしなづちのみことと手名椎命てなづちのみことに出会う。話を聞くと、この夫婦には八人の娘がいたが、毎年、八岐大蛇やまたのおろちという怪物がやってきて、娘を一人ずつ食べてしまい、今まさに最後の娘、櫛名田比売くしなだひめも生贄いけにえにされる番だという。

この話を聞いた素戔嗚尊は、櫛名田比売を妻にもらうことを条件に、八岐大蛇を退治することを約束した。夫婦は喜んで承諾し、素戔嗚尊は櫛名田比売を櫛に変え、自分の髪に挿して身を守った。

彼はまず、八つの門と、それぞれの門に八つの樽を用意させた。そして、その樽に八回繰り返し醸造した八塩折之酒やしおおりのさけを満たした。やがて、山のように巨大な八岐大蛇が姿を現し、八つの頭をそれぞれの門に入れ、酒を飲み始めた。

酒に酔って眠り込んだ大蛇を、素戔嗚尊は十束剣とつかのつるぎで切り刻んだ。大蛇の尾を斬った際、剣の刃が欠けてしまった。不審に思った素戔嗚尊が尾を裂いてみると、中から一振りの立派な剣が出てきた。これが後に三種の神器の一つとなる天叢雲剣あめのむらくものつるぎ、すなわち後の草薙剣くさなぎのつるぎである。彼はこの剣を、姉の天照大御神あまてらすおおみかみに献上し、高天原での罪を償った。

こうして、素戔嗚尊は八岐大蛇という災厄を退治し、出雲の英雄となった。そして、櫛名田比売と結婚し、出雲の地に須賀すがの宮を造って暮らした。彼は、高天原での粗暴な神から、地上で人々を救う英雄へと変貌を遂げたのである。

【素戔嗚尊と蘇民将来そみんしょうらい】

平安時代以降、素戔嗚尊は陰陽道おんみょうどうの神である牛頭天王ごずてんのうと習合し、蘇民将来の逸話と共に全国に広まった。
この逸話は主に備後国(現在の広島県東部)の風土記に記されており、素戔嗚尊が牛頭天王ごずてんのうと同一視されたことにより、八坂神社をはじめとする各地の信仰に広まったものである。

神話によれば、旅の途中に日暮れを迎えた素戔嗚尊は、裕福な弟の巨旦将来こたんしょうらいに一夜の宿を求めた。しかし、巨旦将来はその粗末な身なりを見て、宿を貸すことを拒否した。困り果てた素戔嗚尊が次に訪れたのは、貧しいながらも心優しい兄の蘇民将来の家であった。蘇民将来は快く旅人をもてなし、粟の飯と酒を振る舞った。その親切な心に感動した素戔嗚尊は、別れ際に感謝の印として蘇民将来の家族に小さな茅の輪を渡し、これを腰に付けていれば疫病から免れることができると告げた。

その後、疫病が流行した際、茅の輪を付けていた蘇民将来の一族だけが無事であったが、巨旦将来の一族は皆、疫病によって滅んでしまったという。素戔嗚尊はさらに、「後世、疫病が流行したときには、『蘇民将来子孫也』と記した護符を門口に掲げれば、その災厄から逃れることができるだろう」と教え、その言葉は今日まで疫病退散の民間信仰として受け継がれている。

この伝承は、祇園祭をはじめとする祭礼の起源にも関連付けられ、疫病や災厄を退散させるための護符や茅の輪くぐりといった風習の由来となった。貧しいながらも他人を思いやる心が神の加護を得るという教訓を伝える一方で、素戔嗚尊の荒々しい側面が疫病神の信仰と結びついた複雑な性質をも示しているのである。今日でも、玄関先に「蘇民将来子孫家門」と書かれた札を掲げる風習が、特に伊勢地方や京都の一部で残されている。

【素戔嗚尊と牛頭天王ごずてんのう】

素戔嗚尊すさのおのみことと牛頭天王ごずてんのうが習合した背景には、両者が持つ「荒々しく、疫病を司る神」という共通の性格が深く関わっている。この習合は、特に京都の祇園信仰の中心地である祇園社(現在の八坂神社)において顕著に進展したのである。

まず、素戔嗚尊は日本神話において、高天原で乱暴をはたらき追放された荒ぶる神である。一方で、ヤマタノオロチを退治し、出雲の国を平定した英雄神としての側面も持つ。荒々しい性格は、人々にとって恐るべき存在であり、疫病を司る神として認識されるようになった。

一方、牛頭天王は、仏教とともにインドから日本へ伝来した異国の神であり、疫病を鎮める力を持つとされた。『備後国風土記』に記された蘇民将来そみんしょうらいの伝説では、牛頭天王が蘇民将来の厚いもてなしに感謝し、子孫を疫病から守ることを約束したと伝えられる。この伝説は、牛頭天王が疫病を退散させる神としての信仰を広めた。

平安時代、疫病が頻繁に流行した都では、怨霊や疫神を鎮める御霊会ごりょうえが盛んに行われた。この時代、祇園社(現在の京都の八坂神社)で祀られていた牛頭天王は、疫病を操る荒々しい神であると同時に、信仰すれば疫病から人々を守る力を持つ神として篤く信仰されていた。これは、祟りを成す神であっても丁重に祀れば吉となす、という御霊信仰にもつながる。

ここで、日本古来の荒ぶる神である素戔嗚尊と、外来の疫病神である牛頭天王の間に、性格の共通性が見出される。素戔嗚尊の荒々しい性格が、疫病を象徴する牛頭天王の性格と重ね合わされ、両者は同一の神とみなされるようになったのである。また、素戔嗚尊が新羅に渡ったとされる説話が、牛頭天王が異国の神であるという性格と結びつけられたことも、習合を後押しした要因とされる。

こうして、神仏習合が進む中で、素戔嗚尊と牛頭天王は一体の存在として信仰され、祇園祭の祭神として、疫病退散を願う人々の中心的な信仰対象となったのである。明治時代の神仏分離令によって、多くの神社(特に全国の八坂神社)で祭神が素戔嗚尊に統一されたが、両神が融合した歴史は、今も各地の祭礼や文化の中に色濃く残っている。

神徳・得意分野

神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。

  • 疾病・感染症の予防に強い神徳がある
  • 子孫代々繁栄
  • えぇ。昔はだいぶヤンチャしてました。みんなにも迷惑を掛けました。でも今はもう落ち着きました。大丈夫です・・・的なアレ

「素戔嗚尊」 を祀る神社は 663社です。
主祭神・相殿神・配祀神・合祀神などとして祀られている神社を表示しています。
免責事項
  • これは学術的な手法に基づく調査・研究ではありませんが、日々研究を重ねて精度を上げていきます。
  • フィールドワークで得られた情報とスマホで撮影した写真をもとに、主観的に判断しているため誤解釈や間違いが発生している可能性があります。
  • その場合、先の研究や報告等に対し意義を唱えるものではなく、当ウェブサイト側のミスである可能性が高いことをご了承ください。
  • よく分からないものは「不明」と表記しています。
  • 宗派・祭神・神札に関しては、 「境内設置の由緒書き」「現地での目視確認」「公式ウェブサイトでの記載」または「各都道府県の神社庁ウェブサイト」のいずれかにて確認できなかった場合は、 慣例的に容易に予測や推定可能な場合であっても原則的に「不明」としています。しかしながら、神社名から推察される祭神名を括弧書きで表示している場合もあります。
  • また祭神に関しては、その表記に別名や別称が多数存在することが多く、基本的には由緒書きに従った表記名をし、 祭神について詳細情報がある場合は祭神名が太字リンクとなっております。
  • 当ウェブサイトに掲載された情報の利用により発生したいかなるトラブル・損失・損害に対しても、当方は責任を負いません。
著作権
  • 当ウェブサイトに掲載されているスナップ写真のみ、クリエイティブ・コモンズ「CC BY-NC 4.0」で提供されています。
  • 当ウェブサイトに掲載されている文字コンテンツ、360度画像、イラストは、おさんぽ・YOKOHAMAが権利を有していおります。