出典:国土地理院
式内社とは、平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に載っている神社のことじゃ。
延喜式神名帳は今で言うところの神社データベースみたいなモノじゃの。
記載された神社は全国で2861社で、そこに鎮座する神の数は3132座じゃ。
とは言っても地名と神社名が羅列してあるだけで、祭神についての情報は皆無じゃの。
神社名に祭神名が入っている社もあるのじゃが、それはほんの一部じゃ。
この時代は、一つの社に一柱(一座)というスタイルがほとんどじゃ。
だから、当時は社ごとにローカルな土地神を祀っていたのではないかとも思えるのじゃ。
そうなれば、個々に祭神名を載せる必要性は無いからの・・・実際どうだったかは、謎じゃ。
式内社は岩手県と秋田県の南部から鹿児島県まで分布しておる。やはり多いのは畿内じゃの。それと北陸も多いのぉ。
ただ、1000年も前の情報ゆえに、現代の情報と照合するのは些か難儀する所も多いのじゃ。
1000年の間に衰退して廃絶した社、移転してしまった社、戦乱で文書を喪失してしまった社など、明確な証拠が無い社がほとんどじゃ。
ただ、式内社と言われる神社をいくつかお参りしていくにつれて、不思議なことに「式内社っぽさ」は直感的に分かるようになるものじゃ。
最近では、式内社巡りをしておる御仁もいると聞くの。
式内社制度は無くなっているとはいえ、社格が高いことには違いはなく、地域の鎮守となっている神社も多いの。
そうなると御朱印もある可能性も高くなるのじゃ。
律令制が取り入れられた奈良・平安時代、各國に赴任した國司の最初の仕事は、定められた神社を順に巡って参拝することであったと聞く。
それらの神社の多くが後に式内社になったのではないかと思えるのじゃ。
これがなかなか大変な巡拝の旅だったらしく、後にそれらを一箇所に纏めて、一回で全部巡拝した役割を持たせた社が「総社」と呼ばれるようになったのじゃ。
式内社巡りをやってみれば分かるのじゃが、交通網と地図が発達した現代でも、式内社巡りは大変じゃの・・・
延喜式神名帳は、延長5年(927年)にまとめられた
『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。(正しくは『延喜式』「神名帳」というような表記になるが、ここでは「延喜式神名帳」と記述する。)
延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社、式社といい、一種の社格となっている。本来「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表を指し、官社帳ともいう。国・郡別に神社が羅列され、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣帛を受ける祭祀の別を明記するのみで、各式内社の祭神名や由緒などの記載はない。
延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社で、そこに鎮座する神の数は3132座である。
式内社の後裔が現在のどの神社なのかを比定する研究は古くから行われている。現代において、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社・比定社などと呼ばれる。
式内社の後裔としてほぼ確実視されている神社でも、確実な証拠はほとんど無く、伝承により後裔の可能性がきわめて高い論社という扱いである。延喜式編纂時以降、社名や祭神・鎮座地などが変更されたり、他の神社に合祀されたり、また、荒廃した後に復興されたりした場合、式内社の後裔と目される神社が複数になることもある。