出典:国土地理院

御祭神の恒良親王についてお話しするのじゃ。
歴史上の人物で、父は後醍醐天皇、母は阿野廉子じゃ。金崎宮にてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
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狐っこの
にゃんこきつね
歴史上の人物

つねよししんのう

恒良親王

Tsuneyoshishinnou

上記以外の文献または由緒書き等に於ける名前の表記

恒良親王つねよししんのう恒良親王つねながしんのうetc...

系譜

父:後醍醐天皇
母:阿野廉子

兄弟姉妹:宗良親王尊良親王

概要

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての皇族であり、後醍醐ごだいご天皇の皇子である。母は阿野廉子あのれんしであり、同母兄には義良のりよし親王や後村上ごむらかみ天皇らがいる。建武けんむの新政において、父の後醍醐天皇から皇太子に立てられた。これは、持明院統じみょういんとうとの交代制を否定し、自身の血統による皇位継承を盤石にするための象徴的な人事であったが、時代の荒波は幼き皇太子の運命を激しく翻弄した。 足利尊氏あしかがたかうじが離反して京都に攻め上ると、新田義貞にったよしさだに奉じられて北陸地方へと逃れた。これは、万が一京都が陥落しても、北陸の地で皇統を維持し、反撃の拠点とするための戦略的な動きであった。越前えちぜん國の金ヶ崎城かながさきじょうに入り、一時は異母兄の尊良たかよし親王らと共に足利軍を迎え撃った。しかし、高師泰こうのもろやすらによる大軍の包囲を受け、食糧不足や厳しい寒さに悩まされる過酷な籠城戦を強いられた。 延元えんげん二年、ついに城は落城し、尊良親王や義貞の嫡男である義顕よしあきらが自害する中で、親王は捕らえられて京都へ送還された。その後、足利方によって花山院かざんいんに幽閉されたが、そこで毒殺されたと伝えられている。若くして非業の死を遂げたその生涯は、南北朝の対立という権力闘争の中で、政治的な駒として扱われた皇族の悲劇を象徴している。現在は、最期の地となった金ヶ崎城跡の金崎宮かねがさきぐうにおいて、共に戦った尊良親王と共に祀られている。

注)鎌倉時代・南北朝時代の研究が進む以前は「つねながしんのう」と呼ばれることも多かった。

恒良親王」 を祀る神社は 1社です。
主祭神・相殿神・配祀神・合祀神などとして祀られている神社を表示しています。
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