出典:国土地理院
御祭神の後醍醐天皇についてお話しするのじゃ。
歴史上の人物で、父は後宇多天皇、母は五辻忠子じゃ。黒木神社などにてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
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元徳院元応帝吉野院後醍醐天皇etc...
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、停滞した社会を打破し天皇親政を復活させようと奔走した、日本史上極めて個性的な君主である。大覚寺統の系統に属し、父である後宇多天皇の期待を受けて即位した。当時の朝廷は持明院統との交代で皇位を継ぐ両統迭立の状態にあり、幕府の干渉を強く受けていたが、天皇は儒教の一派である宋学に傾倒し、絶対的な権力を持つ理想の王道政治を志した。正中の変や元弘の変を企てて倒幕を試みるも失敗し、隠岐に流されるという苦難を味わったが、不屈の精神で脱出に成功した。
その後、足利尊氏や新田義貞、楠木正成らの協力を得て、ついに鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ。京に戻った天皇は、直ちに建武の新政を開始し、記録所を設置するなど独自の官僚機構を整えたが、武士の恩賞問題や急進的な改革が社会の混乱を招き、人々の支持を失っていった。やがて尊氏が離反し、湊川の戦いで正成を失うなど軍事的に追い詰められると、天皇は三種の神器を奉じて大和の吉野へと逃れ、独自の朝廷を樹立した。
これが南北朝時代の始まりであり、天皇は崩御するまで京都奪還と正統性の主張を諦めることはなかった。晩年は吉野の地で失意のうちに生涯を閉じるが、その強靭な意志は後の南朝方へ引き継がれ、歴史に深い爪痕を残した。後醍醐天皇の治世は、中世から近世へと至る大きな転換点となり、その後の日本における天皇観や政治体制に多大な影響を与え続けている。