出典:国土地理院

御祭神の後醍醐天皇についてお話しするのじゃ。
歴史上の人物で、父は後宇多天皇、母は五辻忠子じゃ。黒木神社などにてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
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狐っこの
にゃんこきつね
歴史上の人物

96.ごだいごてんのう

後醍醐天皇

96.godaigo Tennou(Emperor)

上記以外の文献または由緒書き等に於ける名前の表記

元徳院げんとくいん元応帝げんおうてい吉野院よしのいん後醍醐天皇ごだいごてんのうetc...

系譜

父:後宇多天皇
母:五辻忠子

配偶者:二条為子阿野廉子

子:宗良親王尊良親王恒良親王

概要

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、停滞した社会を打破し天皇親政を復活させようと奔走した、日本史上極めて個性的な君主である。大覚寺統だいかくじとうの系統に属し、父である後宇多天皇ごうだてんのうの期待を受けて即位した。当時の朝廷は持明院統じみょういんとうとの交代で皇位を継ぐ両統迭立りょうとうてつりつの状態にあり、幕府の干渉を強く受けていたが、天皇は儒教の一派である宋学そうがくに傾倒し、絶対的な権力を持つ理想の王道政治を志した。正中しょうちゅうの変や元弘げんこうの変を企てて倒幕を試みるも失敗し、隠岐おきに流されるという苦難を味わったが、不屈の精神で脱出に成功した。

その後、足利尊氏あしかがたかうじ新田義貞にったよしさだ楠木正成くすのきまさしげらの協力を得て、ついに鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ。きょうに戻った天皇は、直ちに建武の新政けんむのしんせいを開始し、記録所きろくじょを設置するなど独自の官僚機構を整えたが、武士の恩賞問題や急進的な改革が社会の混乱を招き、人々の支持を失っていった。やがて尊氏が離反し、湊川みなとがわの戦いで正成を失うなど軍事的に追い詰められると、天皇は三種の神器を奉じて大和やまと吉野よしのへと逃れ、独自の朝廷を樹立した。

これが南北朝時代の始まりであり、天皇は崩御するまで京都奪還と正統性の主張を諦めることはなかった。晩年は吉野の地で失意のうちに生涯を閉じるが、その強靭な意志は後の南朝方へ引き継がれ、歴史に深い爪痕を残した。後醍醐天皇の治世は、中世から近世へと至る大きな転換点となり、その後の日本における天皇観や政治体制に多大な影響を与え続けている。

後醍醐天皇」 を祀る神社は 2社です。
主祭神・相殿神・配祀神・合祀神などとして祀られている神社を表示しています。
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