出典:国土地理院

御祭神の吉備武彦についてお話しするのじゃ。
古代の豪族で、父は若日子建吉備津日子じゃ。久佐奈岐神社などにてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
ちなみにこの枠は左下の▼で非表示にできるぞ。

狐っこの
にゃんこきつね
古代の豪族

きびのたけひこ

吉備武彦

Kibinotakehiko

古事記に於ける名前の表記

吉備臣建日子きびのおみたけひこ御鉏友耳建日子みすきともみみたけひこ

日本書紀に於ける名前の表記

吉備武彦きびのたけひこ

先代旧事本紀に於ける名前の表記

吉備武彦命びのたけひこのみこと

系譜

父:若日子建吉備津日子
母:-

子:吉備穴戸武媛

概要

記紀に伝わる古代日本の皇族、あるいは豪族の一人である。第十二代景行けいこう天皇の時代に活躍し、若日子建吉備津日子わかひこたけきびつひこの子として、吉備氏の祖となった人物である。

彼は、皇子である日本武尊やまとたけるのみことによる東国とうごく征伐の際、副将としてその遠征に同行した。みことの命を支える忠実な軍師・将軍としての側面が強く、蝦夷えみしの平定において重要な役割を果たした。特に、日本武尊が伊勢いせから東へと向かう折、吉備武彦は膳夫かしわで七日市ななかいちらと共に、軍事や補給、儀礼の面で多大な貢献をしたとされる。

また、吉備武彦は、自らの娘である吉備穴戸武媛きびのあなとのたけひめを日本武尊の妃として差し出している。この婚姻によって吉備氏と皇室との結びつきは一層強固なものとなり、後に彼女が産んだ武殻王たけかいこくのみこらの血筋が、地方豪族としての吉備氏の繁栄を支える象徴的な根拠となった。さらに、日本武尊が亡くなった後も、武彦はその遺志を継ぎ、天皇に対して征伐の顛末を報告する重責を担ったという。


免責事項
  • これは学術的な手法に基づく調査・研究ではありませんが、日々研究を重ねて精度を上げていきます。
  • フィールドワークで得られた情報とスマホで撮影した写真をもとに、主観的に判断しているため誤解釈や間違いが発生している可能性があります。
  • その場合、先の研究や報告等に対し意義を唱えるものではなく、当ウェブサイト側のミスである可能性が高いことをご了承ください。
  • よく分からないものは「不明」と表記しています。
  • 宗派・祭神・神札に関しては、 「境内設置の由緒書き」「現地での目視確認」「公式ウェブサイトでの記載」または「各都道府県の神社庁ウェブサイト」のいずれかにて確認できなかった場合は、 慣例的に容易に予測や推定可能な場合であっても原則的に「不明」としています。しかしながら、神社名から推察される祭神名を括弧書きで表示している場合もあります。
  • また祭神に関しては、その表記に別名や別称が多数存在することが多く、基本的には由緒書きに従った表記名をし、 祭神について詳細情報がある場合は祭神名が太字リンクとなっております。
  • 当ウェブサイトに掲載された情報の利用により発生したいかなるトラブル・損失・損害に対しても、当方は責任を負いません。
著作権
  • 当ウェブサイトに掲載されているスナップ写真のみ、クリエイティブ・コモンズ「CC BY-NC 4.0」で提供されています。
  • 当ウェブサイトに掲載されている文字コンテンツ、360度画像、イラストは、おさんぽ・YOKOHAMAが権利を有していおります。