出典:国土地理院
通称:
総本宮・総本社
熊野三山 (和歌山県)
祀られている主な祭神・推測できる祭神
熊野三所権現の全部または一部の勧請を受け、 イザナミ・事解之命・速玉之命を祀ることが多い。
概要
熊野神社とは、和歌山県の紀伊山地に鎮座する熊野三山、すなわち熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を総本社とする信仰の広がりによって成立した神社群の総称である。熊野の信仰は古く、山岳や滝などの自然に対する原始的な崇拝を基盤としつつ、やがて仏教思想と結びつき、修験道の霊場として発展したものである。熊野三山に祀られる神々は熊野権現と総称され、仏が仮の姿で現れたとする本地垂迹思想のもと、本宮を阿弥陀如来、新宮を薬師如来、那智を千手観音に配当する神仏習合の体系が形成された。十二世紀頃には十二所権現の観念も整い、熊野は強い仏教色を帯びた聖地となったのである。
平安時代末期から鎌倉時代にかけては、白河院や後白河院をはじめとする上皇・貴族が盛んに熊野詣を行った。険しい山路を越えて何度も参詣するその姿は人々の関心を集め、やがて庶民にも信仰が広がった。参詣者の列が絶えず続く様子は「蟻の熊野詣」と称されるほどであり、熊野は中世日本を代表する巡礼地となったのである。この信仰を全国へ広めた大きな要因として、熊野三山に属する御師や修験者の活動が挙げられる。彼らは各地を巡って熊野権現の霊験を説き、分霊を勧請して多くの社を創建した。その結果、熊野神社は北海道から沖縄に至るまで三千社以上が分布するに至った。
熊野信仰の特徴は、身分や性別、さらには浄不浄を問わずあらゆる人々を受け入れる寛容性にあった。当時は禁忌とされた女性の参拝や病者の参詣をも拒まなかったことが、広範な支持を集めた理由の一つと考えられる。また神武天皇を導いたと伝えられる三本足の八咫烏は、熊野の神使として知られ、導きの象徴として今日まで親しまれている。さらに険しい山々が連なる紀伊半島には修験者が開いた巡礼路が形成され、後に熊野古道として知られるようになった。
明治期の廃仏毀釈によって熊野権現の神仏習合的性格は大きく変容し、熊野詣の熱狂も次第に衰退した。しかしながら、熊野古道は巡礼の歴史を伝える道として再評価され、今日では世界遺産として国内外の人々を引きつけている。各地に鎮座する熊野神社は、山岳信仰と仏教思想、そして庶民の巡礼文化が結びついて形成された中世日本の精神史を今に伝える存在であると言える。
全国の主な神社