出典:国土地理院
御祭神の宗良親王についてお話しするのじゃ。
歴史上の人物で、父は後醍醐天皇、母は二条為子じゃ。物部天神社国渭地祇神社天満天神社にてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
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宗良親王etc...
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した皇族であり、後醍醐天皇の第八皇子である。母は二条為子で、若くして妙法院に入り門跡となった。元弘の変では父に従い、一度は讃岐へ流されるが、鎌倉幕府の滅亡後に建武の新政が始まると、天台座主として仏教界の頂点に立った。しかし、足利尊氏の離反によって南北朝の動乱が始まると、還俗して征東大将軍となり、南朝側の軍事指導者として各地を転戦する激動の生涯を送ることとなった。
親王は遠江の井伊谷を拠点に東国での勢力回復を図り、その後も信濃の大河原など各地の豪族を糾合して北朝軍に抵抗し続けた。軍事的には苦戦を強いられることが多かったものの、南朝の正統性を訴え、武士たちを鼓舞し続けたその精神的支柱としての役割は非常に大きい。また、親王は優れた歌人としても名高く、二条派の正統を継承する歌学の大家であった。
苦難の漂泊生活の中で詠まれた和歌は、南朝方の悲哀と再興への執念が込められた力強いものであり、准勅撰和歌集である「新葉和歌集」を編纂した功績は、日本文学史上においても高く評価されている。
晩年の足取りについては諸説あり、浪合で戦死したという伝承や、各地に潜伏したという伝説が残されているが、確かな終焉の地は定かではない。