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出典:国土地理院

御祭神の宗良親王についてお話しするのじゃ。
歴史上の人物で、父は後醍醐天皇、母は二条為子じゃ。物部天神社国渭地祇神社天満天神社にてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
ちなみにこの枠は左下の▼で非表示にできるぞ。

狐っこの
にゃんこきつね
歴史上の人物

むねよししんのう

宗良親王

Muneyoshishinnou

上記以外の文献または由緒書き等に於ける名前の表記

宗良親王むねよししんのうetc...

系譜

父:後醍醐天皇
母:二条為子

兄弟姉妹:尊良親王恒良親王

概要

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した皇族であり、後醍醐天皇ごだいごてんのうの第八皇子である。母は二条為子にじょういしで、若くして妙法院みょうほういんに入り門跡となった。元弘げんこうの変では父に従い、一度は讃岐さぬきへ流されるが、鎌倉幕府の滅亡後に建武の新政けんむのしんせいが始まると、天台座主てんだいざすとして仏教界の頂点に立った。しかし、足利尊氏あしかがたかうじの離反によって南北朝の動乱が始まると、還俗して征東大将軍せいとうだいしょうぐんとなり、南朝側の軍事指導者として各地を転戦する激動の生涯を送ることとなった。

親王は遠江とおとうみ井伊谷いいのやを拠点に東国での勢力回復を図り、その後も信濃しなな大河原おおがわらなど各地の豪族を糾合して北朝軍に抵抗し続けた。軍事的には苦戦を強いられることが多かったものの、南朝の正統性を訴え、武士たちを鼓舞し続けたその精神的支柱としての役割は非常に大きい。また、親王は優れた歌人としても名高く、二条派にじょうはの正統を継承する歌学の大家であった。

苦難の漂泊生活の中で詠まれた和歌は、南朝方の悲哀と再興への執念が込められた力強いものであり、准勅撰和歌集じゅんちょくせんわかしゅうである「新葉和歌集しんようわかしゅう」を編纂した功績は、日本文学史上においても高く評価されている。

晩年の足取りについては諸説あり、浪合なみあいで戦死したという伝承や、各地に潜伏したという伝説が残されているが、確かな終焉の地は定かではない。

宗良親王」 を祀る神社は 1社です。
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