出典:国土地理院
御祭神の衣通姫神についてお話しするのじゃ。
いにしえの皇族で、父は稚野毛二派皇子、母は弟日売真若比売命じゃ。ご神徳と得意分野は、
衣通郎姫
素登織姫命衣通姫命衣通姫神衣通比売命etc...
父:稚野毛二派皇子
母:弟日売真若比売命
容姿が麗しく、その美しさが衣を透き通って輝いたという伝説的な女性である。その正体については、『古事記』と『日本書紀』で記述が異なっている。『古事記』では第19代允恭天皇の皇女である軽大娘皇女の別名とされ、禁断の恋に身を投じた悲劇的な運命を歩んだと伝えられる。彼女は同母兄である木梨軽太子と禁じられた恋に落ち、その背徳の愛ゆえに太子は伊予(愛媛県)へと流刑に処される。衣通姫は愛する兄を追って伊予へと向かい、再会を果たした後に二人で自害するという、日本文学における初期の心中悲恋物語の主人公として強烈な印象を残している。
一方、『日本書紀』では允恭天皇の妃で、皇后忍坂大中姫の妹である弟姫とされる。允恭天皇の寵愛が深かったため、皇后の嫉妬を買い、人目を避けて暮らしたとされる。
このような伝承から、衣通姫は美人の代名詞となり、古くから絵画の画題としても描かれてきた。また、彼女が詠んだとされる歌の存在から和歌の才能に長けた人物としても知られる。死後、衣通姫は和歌の神として神格化され、玉津島明神として祀られている。衣通姫は、柿本人麻呂、住吉明神とともに「和歌三神」の一柱に数えられ、歌人たちからの崇敬を集めた。
衣通郞女と同神か。
『古事記』が伝える木梨軽太子と衣通郎女の物語は、高貴な血筋ゆえに許されぬ恋に落ちた兄妹の、あまりに哀切な悲劇である。【衣通郞女と木梨軽太子の悲しい物語】
第十九代允恭天皇の第一皇子として生まれた木梨軽太子は、次期皇位を継承すべき立場にあった。しかし、彼はあろうことか同母妹である衣通郎女と通じてしまう。当時の慣習においても、同母の兄弟姉妹による婚姻は「上通の下れ」と呼ばれる最大の禁忌であり、神々の怒りに触れる大罪であった。二人の禁じられた恋はやがて露見し、群臣や民衆の心は太子から離れていった。これに乗じた弟の穴穂御子が勢力を伸ばし、ついに木梨軽太子は捕らえられ、伊予(現在の愛媛県)の湯へと流刑に処されることとなった。
伊予へと向かう際、太子は衣通郎女への断ち切れぬ想いを歌に託した。残された彼女もまた、恋慕の情に耐えかね、ついには禁を破って太子の後を追い、遠き伊予の地へと旅立つ。再会を果たした二人は、一時の喜びを分かち合うものの、現世で共に生きる道がもはや残されていないことを悟る。
木梨軽太子は、自分を追ってきてくれた愛する妹を前にして、
「天飛む 軽の嬢子 いた泣かば 人知りぬべし 波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く」
(愛しい軽の乙女よ。お前がそんなに激しく泣くと、二人の忍び逢いが他人に知られてしまうだろう・・・)
と、彼女の涙を案じ、また再会できた喜びと絶望を込めた歌を詠んだ。
そして二人は、逃れられぬ運命を静かに受け入れ、共に自害して果てる道を選んだのである。
この物語は、記紀神話の中でも異色の純愛悲劇として知られ、和歌の持つ力と、理屈では制御できない人間の情愛の深さを現代に伝えている。美しさが衣を透き通って光り輝いたとされる衣通郎女の伝説は、この悲劇的な幕切れによって、より一層の神秘性と哀切を帯びて語り継がれることとなった。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。