出典:国土地理院
御祭神の菟道稚郎子についてお話しするのじゃ。
いにしえの皇族で、父は応神天皇、母は宮主宅媛じゃ。ご神徳と得意分野は、
宇遅能和紀郎子
菟道稚郎子菟道稚郎子皇子
菟道稚郎子皇子尊
宇治天皇
宇治和気伊良津古皇子宇治皇子宇治若郎子命菟道皇子菟道稚郎子命菟道稚郎子尊etc...
応神天皇の皇子。応神天皇は菟道稚郎子の学識の高さを評価し、百済の阿直岐や王仁を招いて学ばせた結果、さらに聡明になったとされる。
『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、父の応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、
応神天皇の崩御後、菟道稚郎子は天皇の位を異母兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に譲ろうとしたが、大鷦鷯尊もまた固辞し、互いに皇位を譲り合ったため、3年もの間、天皇の位が空位となってしまった。
最終的には大鷦鷯尊に皇位を譲るべく、菟道稚郎子は自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。その後の仁徳天皇は優れた治世を実施し、聖帝と呼ばれた。
『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨國風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。
「菟道」という名は、現在の京都府宇治市の古名とされており、菟道稚郎子はこの地に宮(菟道宮)を営んだと伝えられてている。兄の仁徳天皇は、弟の死を悼んでその宮跡に神社を建てて祀ったのが、現在の宇治上神社、宇治神社の起源とされている。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。