出典:国土地理院
御祭神の第六天魔王についてお話しするのじゃ。
神仏習合の神で、ご神徳と得意分野は、
大六天第六天第六天神第六天魔王etc...
仏教における仏道修行を妨げる魔の王であり、欲界の最高位である第六天、すなわち他化自在天の主であるとされる存在である。この魔王は、仏教に帰依した天魔ではあるものの、依然として欲望にとらわれた世界に住み、煩悩を捨てて悟りを開こうとする修行者を惑わし、その悟りを妨げようとするとされる。
日本では、戦国時代の武将、織田信長が「第六天魔王」を自称したことで広く知られている。この逸話は、信長が甲斐の武田信玄に送った書状の署名に由来する。信長がこの名を名乗った背景には、比叡山延暦寺の焼き討ちや一向一揆との戦いなど、既存の仏教勢力との徹底的な対立があった。信長は、仏の慈悲に反する苛烈な行いを理由に、仏教勢力から「第六天魔王」と罵られていた。それに対し、信長は自らその名を名乗ることで、従来の権威や仏教の枠組みを破壊し、新しい時代を創り出すという革新性を内外に示そうとした政治的宣言でもあった。これに伴い、各地に第六天社を広げていったが、豊臣秀吉の時代になると、信長の祟りを恐れて、特に西日本の第六天を悉く潰していった、という伝説がある。
また、第六天魔王は、必ずしも否定的な側面だけを持つわけではない。仏教には、欲望に満ちた世界に住む天魔だからこそ、逆に欲望を浄化し、人々を幸せに導く力があるという思想も存在する。一部の仏教の経典では、煩悩こそが悟りへの契機となり、第六天魔王による障害を乗り越えることで、より深い信心を得られると説かれている。このため、日本各地には第六天を祀る神社や祠が存在し、土地の守護神や疫病除けの神として信仰されてきた歴史がある。
明治初期に日本で発生した廃仏毀釈は、仏教を排斥し神道を国教とする動きであり、日本の信仰のあり方を大きく変えることとなった。この際、神仏習合の時代に仏教の神として信仰されていた第六天魔王は、その立場を追われることとなったが、その結果、日本の古来の神である面足命と惶根命が、多くの第六天社で新たな祭神として迎えられることとなった。【第六天魔王と廃仏毀釈】
神仏習合の時代、仏教の守護神としての性格を持つ第六天魔王は、天部の神である他化自在天として、仏教寺院の鎮守や、民間の祠で祀られていた。しかし、明治政府が神仏分離令を公布し、仏教色を排除する政策を推進すると、第六天を祀る寺社は、その神格の存続が困難となった。特に、「魔王」という仏教的な呼称は、神道国教化の流れの中で厳しく排斥される対象であった。
そこで、多くの第六天を祀る神社は、その祭神を日本の神話上の神に切り替える必要に迫られた。その際に選ばれたのが、面足命と惶根命である。この二柱の神は、『古事記』において神世七代のうち第六代の神として登場する。神世七代の六番目の神である面足命と惶根命を、第六天魔王の第六天という名称に対応させて、新たな祭神としたのである。これは、仏教的な神を日本の神話的な神に置き換えることで、神仏分離の政策に対応し、神社の存続を図るための措置であった。
このように、廃仏毀釈の政策は、第六天魔王信仰の形態を消滅させ、その受け皿として、神世七代の面足命と惶根命が新たな祭神として迎え入れられることとなった。この出来事は、明治期の日本の宗教政策が、神仏習合時代の信仰体系にいかに大きな影響を与えたかを示す、象徴的な事例である。
明治新政府が発した神仏分離令と、それによって引き起こされた廃仏毀釈は、日本の宗教史に大きな影響を与えた出来事である。両者は混同されがちだが、神仏分離令はあくまで政府の政策であり、廃仏毀釈はそれに端を発した民衆や地方の過激な行動であった。【神仏分離令と廃仏毀釈】
神仏分離令は、明治元年(1868年)に太政官から出された一連の命令の通称で、それまで混然一体であった神道と仏教の分離を目的としていた。江戸時代に定着していた神仏習合という状況を廃し、神社から仏教的な要素を取り除くことを指示したのである。これにより、神社の境内にあった仏堂や仏像、仏具は撤去され、僧侶は還俗して神職になるか、寺院へと戻るかの選択を迫られた。この政策は、天皇を中心とした国家体制を確立するために、古来の神道を国教としようとする新政府の意図が背景にあった。
しかし、この政府の意図を大きく超え、全国各地で過激な仏教破壊運動が展開されたのが廃仏毀釈である。政府が命じたのは分離であって破壊ではなかったが、国学の復興や、仏教に対する不満を持つ人々が「仏教は不要」と過激な解釈をした結果、寺院や仏像、経典の破壊、焼却などが広範に行われた。特に、水戸や鹿児島、苗木(岐阜)などの地域では徹底した破壊活動が行われ、寺院や僧侶が地域から完全に姿を消した場所も少なくなかった。この動きには、江戸時代の寺請制度に対する反発や、寺領を没収しようとする思惑も絡んでいたとされる。
結果として、多くの文化財が失われ、仏教界は権威と特権的地位を喪失し、経済的困窮に陥った。また、多くの寺院が廃寺となり、神葬祭が主流となるなど、人々の信仰のあり方そのものにも大きな変化をもたらした。廃仏毀釈は、新政府の政策が思わぬ方向へと暴走した結果であり、日本の文化と信仰に深い爪痕を残した出来事であった。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。