出典:国土地理院

御祭神の源為朝についてお話しするのじゃ。
歴史上の人物で、父は源為義、母は江口の遊女じゃ。ご神徳と得意分野は、

  • 弓術
じゃな。大山田神社などにてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
ちなみにこの枠は左下の▼で非表示にできるぞ。

狐っこの
にゃんこきつね
歴史上の人物

みなもとのためとも

源為朝

Minamotonotametomo

上記以外の文献または由緒書き等に於ける名前の表記

源為朝みなもとのためとも鎮西八郎ちんぜいはちろう鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためともetc...

系譜

父:源為義
母:江口の遊女

概要

平安時代後期の武将で、源義家の弟・源義光の孫にあたり、源為義の八男として生まれた人物である。為朝は並外れた体躯(約210cm)と怪力を持ち、弓術において比類なき才能を発揮したことで知られる。『保元物語』などの軍記物語によれば、強弓を自在に引き、数百メートル先の標的をも射抜くほどの豪勇を誇ったとされ、後世には「弓の名手」として伝説化された。

しかし、その荒々しい性格から、13歳で父に勘当され、九州に追放される。九州で大暴れし、鎮西(九州)を平定したことから「鎮西八郎」と名乗る。

しかしその性格は豪放にして荒々しく、同族間の争いにおいてしばしば問題を引き起こした。保元元年(1156)の保元の乱では、父為義に従い崇徳上皇方として参戦し、後白河天皇方についた兄・義朝や平清盛らと戦った。戦場においては大弓をもって敵を討ち破り、その勇猛さは敵味方を震撼させたが、乱は敗北に終わり、為朝は伊豆大島へ配流となった。その後、島で自立的な勢力を築き、土豪的支配者として振る舞ったが、朝廷の討伐を受けて再び敗れたとされる。

伝承の中では、為朝は自害に際して自らを刺し貫いたが死にきれず、鬼神のような存在となったと語られることもある。さらに琉球に渡り、王統の祖となったという説話も生まれ、為朝は単なる一武将にとどまらず、各地に英雄譚を残す人物として広まった。彼の武勇は神格化され、弓術の神・武勇の守護神として祀られる。

神徳・得意分野

神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。

  • 弓術

源為朝」 を祀る神社は 2社です。
主祭神・相殿神・配祀神・合祀神などとして祀られている神社を表示しています。

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