出典:国土地理院
御祭神の椎根津彦についてお話しするのじゃ。
記紀に登場する神々で、父は武位起命じゃ。ご神徳と得意分野は、
槁根津日子
椎根津彦珍彦
椎根津彦命
宇豆彦神知津彦神知津彦命神知津彦命
倭宿彌命
㰏根津日子神珍彦命青海首椎根津彦神etc...
父:武位起命
母:-
神武天皇が東征において速吸門で出会い、瀬戸内海の船路の先導者となる。
物語は、神武天皇一行が日向から海路で東へ向かう途上、速吸門(現在の豊予海峡付近)を通過する場面から始まる。そこで、亀の甲羅に乗って釣りをしている人物と出会うのである。この人物が珍彦であり、自らを国津神であると名乗り、天皇のために水先案内を務めることを申し出た。珍彦は、椎の木でつくった櫂を取って天皇の船を導いたことから、後に「椎根津彦」の名を賜った。
大和に入ってからの戦いにおいても、椎根津彦はその知略を発揮している。特に、大和の支配者であった兄磯城を討伐する際には、地元の老人に化けて策を巡らせ、敵を打ち破るための情報を収集した。これは、武力だけでなく、策略家としての優れた才能を示している。
東征が成功し、大和の平定が成った後、椎根津彦はその功績が認められ、倭国造に任じられた。これは、大和の地を統治する重要な役職であり、神武天皇の政権において確固たる地位を築いたことを意味する。また、その子孫は代々倭国造を務めたと伝えられており、倭国造の祖となった。
丹後半島の籠神社の社伝には、「別名・珍彦・椎根津彦・神知津彦 籠宮主祭神天孫彦火明命第四代 海部宮司家四代目の祖 神武東征の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰の称号を賜る。外に大倭国造、倭直とも云う。」とある。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。