出典:国土地理院
大倭日子鉏友命
大日本彦耜友天皇大日本彦耜友尊
大日本根子彦耜友天皇日本彦耜友尊日本彦耜友皇子軽地曲峡宮御宇天皇
懿徳天皇
大日本彦耜友天皇
第4代天皇。欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。第3代安寧天皇の皇子であり、大和の軽曲峡宮を皇居としたと伝えられるが、その治世に関する具体的な事績の記述はほとんどない。しかし、『古事記』には、懿徳天皇の后に磯城県主の祖である賦登麻和訶比売を迎え、後の孝昭天皇となる観松彦香殖稲命をもうけたと記されており、有力な地方豪族との婚姻関係が示唆されている。
陵墓は、宮内庁により奈良県橿原市にある畝傍山南繊沙渓上陵として治定されている。
欠史八代とは、日本の記紀神話において、初代神武天皇と第10代崇神天皇の間に位置する8人の天皇、すなわち第2代から第9代までの天皇を指す歴史学上の用語である。この8人の天皇とは、綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇、そして開化天皇である。【欠史八代】
『日本書紀』や『古事記』には、神武天皇の東征や崇神天皇の治世に関する詳細な記述がある一方、欠史八代の天皇については、系譜や陵墓、皇后や皇子に関する情報があるだけで、具体的な治世の事績がほとんど記されていない。このことから、古くからその実在性について疑いが持たれてきた。
歴史学的には、欠史八代の存在は、後世の編纂者が記紀の系譜を遡らせるために創作・追加したものであり、実際に存在した可能性は低いと考えられてきた。しかし、近年の考古学的な発見によって、欠史八代の実在をめぐる議論が再燃している。特に、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に銘文として記された「意富比垝」という人名が、孝元天皇の皇子である大彦命と同一視される可能性が指摘されている。これにより、欠史八代の天皇の存在そのものは依然として不確かであるものの、その系譜に連なる一部の人物が実在した可能性が出てきているのである。
欠史八代の実在性については諸説あり、年代を延ばすために創作されたという説のほか、神武天皇と崇神天皇は同一人物であり、欠史八代は存在しなかったという説、また、実在したとしても、当時の年齢の数え方が現在と異なるため長寿とされているという説などがある。