出典:国土地理院
御祭神の御左口神についてお話しするのじゃ。
まつろわぬ神で、御園神社などにてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
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おしゃもじ様ミシャグジミシャグジ神佐軍神御作神御射宮司御左口神御社宮司御社宮神杓子大神etc...
長野県の諏訪地方を中心に、東日本一帯で古くから信仰されてきた土着の神である。その性質は極めて多義的であり、石や樹木、あるいは杖などに降臨する精霊のような存在として捉えられることもあれば、土地そのものの神、あるいは狩猟や農耕を司る神として崇められることもある。表記は御左口神や御作神など多岐にわたるが、いずれも「ミシャグジ」という音に基づいた当て字と考えられ、そのバリエーションは200とも300とも言われる。
諏訪の伝承によれば、出雲からやってきた建御名方神がこの地を征服する以前から、ミシャグジは守矢氏の祖神である洩矢神とともに、土地の神として鎮座していたとされる。後に諏訪大社の大祝という現人神の位に、神を降ろす依代としての役割が与えられることとなった。特に、守矢氏が代々務めた神長官という役職が、ミシャグジを呼び降ろす秘儀を独占的に継承してきた。
ミシャグジ信仰は境界の神としての性格も強く、村の境や道祖神と習合する形で各地に祀られている。柳田國男などの民俗学者によれば、この信仰は日本古来の自然崇拝の形を色濃く残しており、大和朝廷による全国的な神話体系が浸透する以前の、縄文的な古い信仰の系譜に連なるものと推測されている。
また、自然の造形の中で偶然に出来た生殖器に似た石を、分かりやすい対象として拾い上げて崇める姿も徐々に広まっていったと考えられる。これもまた石神信仰や道祖神信仰へと繋がる。故に、各地に祀られている生殖器に似た石棒の道祖神の起源の多くは、ミシャグジ信仰そのものか、或いは少なからずミシャグジ信仰に影響を受けた姿であると思って間違い無いだろう。
ミシャグジとは、諏訪という地にタケミナカタがやってくる遥か以前より畏れ崇められてきた土着の神である。
ミシャグジは古代神でありながら、その名と神格までが現代まで論じられている数少ない実例である。
それは神代から続く洩矢神の血筋が、守矢氏として現代まで受け継がれ、数多くの古文書・言い伝えが残っていることに由来する。しかしながら、ミシャグジに関する実践的な秘技や神事はほとんど消滅し、一部の伝承のみが知られるだけである。【諏訪とミシャグジ】
ただ、伝承や神道らしからぬ荒々しく血塗られた祭から推察するに、ミシャグジの本質は「祟り神」であると考えられる。ミシャグジは根源は、自然そのものであり、自然は時に荒ぶる。荒ぶる自然の猛威は、容赦無くヒトや動物を傷つけ、血を流させ、殺す。その血や死がミジャグジに力を与える。それは「祟り」という力に変わり、定期的に襲ってくる。それを封印するための結界として、ミシャグジを畏れ崇めたことが古代諏訪の信仰の始まりなのだろう。そして守矢一族は、その荒ぶるミシャグジの霊神を、自在に操り、時には人に憑依させることすら可能な秘術を持ち、代々に渡って一子相伝で受け継いできた。しかしながら、時代を経るにつれて秘術は希釈され、先にも述べたように明治を境にほぼ消滅してしまった。
しかしながら、この血と死を好むミシャグジを畏れ敬う信仰は、途絶えてはいない。それが御柱祭や御頭祭である。時代を経て血生臭さは減ったとはいえ、死と紙一重の荒々しい祭りであることには違いはない。およそ神道らしからぬ数々の行為は、タケミナカタに対する神事というより、その背後にいるミシャグジへのアピールなのだろう。
ミシャグジは巷にある「道祖神」や「塞の神」の起源とも言われている。「道祖神」や「塞の神」は村の外れにて、他より近づく悪きモノを跳ね除ける役割として石を置いていることが多い。ミシャグジも「御石神」と書く別名がある事からもわかるように、石も以って具象化していると考えられる。特に多い形は、男性器を彷彿とさせる形状の石である。風化や摩耗により、自然にそういうカタチになった石を拾い上げ、崇めた。
性器の形をした石を崇める信仰は全国的にあり、これが全国的に諏訪社が満遍なく広まっている一つの原因になっているというのは個人的な予想である。
ミシャグジ信仰が先か性器型石神信仰が先かは、鶏か先か卵が先かと同じ問題で、決着は付かないと思うが、村はずれに置いてあった性器型の石が、実はあの名高い諏訪の神と同じ姿だと知ってしまったら、「オラが村にも諏訪の神様がおいでであった!」とお祭り騒ぎになることは容易に想像がつく。さらに、諏訪の神タケミナカタは狩猟や農耕にも神徳があるというのだから、村の住人が諏訪の信仰を受け入れるのも容易である。その流れが全国的に広まり、津々浦々まで諏訪社が存在する大きな理由だろう。
また別の流れも想像できる。ミシャグジは荒ぶる自然の祟り神である。つまり地震に起因する荒ぶる大地の怒りである。大地の怒りとは、地震によって発生する地割れ・山崩れなどのことである。日本列島には無数の断層が存在し、地震の震源地となっている。周期的に断層は動き、大きな被害を出す。それをミシャグジの怒りを捉えれば、その地にある特定の石を選び、崇めて、あわよくば怒りを封印してしまいたいと誰もが願ったことだろう。
事実、諏訪の地は地球規模の断層の上にあると言って良い。南北に走る糸魚川静岡構造線と東西に走る中央構造線が交わる場所、それが諏訪湖なのである。日本列島の形が今後どうなるかの運命を握っている非常に巨大な地球規模の「線」である。仮にこの構造線が動くとなると、想像を絶する破壊力が発生する。有史以前より破壊は周期的に発生し、動物や植物の生態を一瞬にして壊してしまう。その破壊力こそがミシャグジの力であり、諏訪に住む古代人が最も恐れた力である。それを封印するため、地震により発生する大量の血と死の代わりに、定期的にミシャグジに血と死を捧げる。それが御柱祭であり御頭祭なのである。かつては、その血と死の儀式を特定階級にあるヒト(つまり神官)を使って行っていた、則ちヒトが生贄として捧げられていたこともあるらしい。
高く聳える4本の御柱が上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)のそれぞれに結界を作り、周辺にある小さな祠にさえも4本の御柱を立て結界をさらに強固なモノにする。本宮・前宮・春宮・秋宮が作る結界の柱が、諏訪湖を取り囲み更に大きな結界を成す。全力で構造線の交点を封じているのである。
今では、御柱祭も御頭祭もかつてほどの血生臭さは無く、さらに、コロナ禍の影響もあり2022年の御柱祭は本来あるべき姿からは程遠い状態になってしまった。御柱をトレーラーで運ぶというタケミナカタもびっくりな方法である。果たして、これにミシャグジは満足するのであろうか・・・いよいよ二つの構造線が大きく動く日が近いのかもしれない。。。