出典:国土地理院
御祭神の少彦名命についてお話しします。
高皇産霊尊の子孫で、生みの親が高御産巣日神です。ご神徳と得意分野は、
少名毘古那神
少彦名命
天少彦根命
少彦名神
須久奈比古
小比古尼命
久斯神宿奈彦根命宿奈毘古那命宿那彦名命小名牟遅神小彦命小日子命少名彦名命少名彦名神少名彦命少名彦神少名彦那命少名毘古那命少彦名大神少彦名尊少彦命少彦社少日子根命少毘古那命少毘古那神少那彦名命少那比古神粟島之神須久那美迦微etc...
日本神話に登場する医薬、酒造、温泉など、人々の生活に密接に関わる技術や知識をもたらした神である。大国主命と共に国土経営に尽力した協力神として知られ、非常に小柄な姿で現れるのが特徴である。その出会いは、『古事記』において、大国主命が出雲の岬にいた際、海の向こうの常世の国からガガイモの実の船に乗って現れた小さな神として描かれている。
その小ささゆえに、御伽草子の「一寸法師」のモデルになったとも言われている。しかし、その体躯とは裏腹に、豊かな知識と知恵を持ち、大国主命と協力して全国を巡り、国造りを行った。その過程で、病気を治す薬や医療技術、酒造りの方法、そして温泉療法を人々に広めたと伝えられる。愛媛県の道後温泉など、多くの温泉地の発見にも少彦名命が関わったという伝承が残されている。
また、国造りの一環として稲作を通じて米の安定供給にも尽力した「米の神」という、とある書籍の考察はたいへん興味深いと思った。少彦名命の名前は誰も知らなかったのに、田んぼに立っているカカシだけは知っていたという点からも大いに納得できる。 米の安定供給は、人々の健康には欠かすことが出来ない。
国造りを終えた後、少彦名命は常世の国へと帰っていったとされるが、その去り方は、粟の茎に弾かれて姿を消したなど、いくつかの伝承がある。
少彦名命を祀る神社は全国に存在し、特に医薬の神として、大阪の道修町にある少彦名神社は「神農さん」の愛称で親しまれている。そこでは、日本の医薬の祖神として、古代中国の医薬の祖神である神農炎帝と共に祀られている。
少彦名命は、常世の国からガガイモの実を割って作った船に乗り、蛾の皮を着物にして、大国主命が出雲にいた時に姿を現した。大国主命が「お前は一体誰だ」と尋ねても、少彦名命は何も答えず、周囲の神々もその名を知らなかった。すると、その場にいた谷蟆(=ヒキガエル)が「久延毘古なら知っているだろう」と告げる。そこで大国主命が久延毘古命に尋ねると、久延毘古命は「その神は高皇産霊神の御子、少彦名命である」と答えたのである。
少彦名命と大国主命は、国土を開拓する中で、病や災いを癒やすために温泉を発見し、その効能を世に広めたと伝えられている。【少彦名命と大国主命、出会いと別れ】
久延毘古命は、山田のそほど(=かかし)であり、歩くことはできないが、天下の出来事をすべて知っている知恵の神とされている。この経緯により、少彦名命の正体が明らかになり、高皇産霊神も少彦名命を自分の子であると認めた。こうして、少彦名命は大国主命と共に兄弟の契りを結び、国造りという壮大な事業を成し遂げていった。
二柱の神は、国土を固め、病気を治す医薬や災いを鎮めるまじないの方法を定めるなど、人々の暮らしの基盤を築いた。しかし、国造りの事業が一段落すると、少彦名命は永遠の別れを告げ、常世の国へと帰っていった。その去り際には、粟茎によじ登り、それを勢いよくはじいて、はるか海の彼方にある常世の国へ飛んでいったと伝えられている。
【温泉の神】
温泉と二柱の神を結びつける最も有名なエピソードの一つは、道後温泉(愛媛県)に伝わる伝説である。病にかかった少彦名命を、大国主命が温泉に浸からせて治療したという物語である。少彦名命は温泉につかると体調を回復させ、喜んで石の上で舞を舞ったとされ、この石は現在も道後温泉の湯釜の近くに残っているとされている。この伝説は、大国主命と少彦名命が温泉の効能を発見し、医療や健康に貢献したことを示している。
また、『古事記』には、二神が力を合わせて国造りを行う中で、病気を治すための医薬や、災いを鎮めるまじないの方法を定めたことが記されており、この医薬の中に温泉の効能が含まれていたと考えられている。少彦名命が常世の国から持ち込んだ豊かな知識には、薬草の知識だけでなく、温泉の効能を見抜く知恵も含まれていたのかもしれない。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。