出典:国土地理院
御祭神の垂仁天皇についてお話しするのじゃ。
いにしえの皇族で、父は崇神天皇、母は御間城姫じゃ。大依羅神社にてお祀りされておるのじゃ。
詳細は地図にも示しておるし、ページをスクロールして見てみるのじゃ!
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伊久米伊理毘古伊佐知命伊久米天皇伊玖米入日子伊沙知命伊玖米天皇
活目入彦五十狭茅天皇活目天皇活目尊
活目入彦五十狭茅尊活目入彦天皇纒向天皇纒向珠城宮御宇天皇
垂仁天皇
活目入彦五十狭茅天皇
伊久牟尼利比古大王etc...
父:崇神天皇
母:御間城姫
第11代天皇。第10代崇神天皇の皇子とされ、大和の纏向珠城宮を皇居としたとされる。崇神天皇の時代とともに、実在性が比較的高いと考えられている天皇の一人であり、その治世に関する具体的な伝承が多く伝えられている。
垂仁天皇の治世における最大の事績は、伊勢神宮の創祀である。それまで宮中において天照大御神を祀っていたが、天皇の意向により、皇女の倭姫命に大神を託し、新たな鎮座地を探させた。倭姫命は各地を巡った末に伊勢の地にたどり着き、伊勢神宮が創建された。これにより、天皇の祭祀と国家的な祭祀が分離され、祭政のあり方が変化したとされる。
また、埴輪の起源に関する逸話も有名である。それまで、天皇の死に際しては、近侍する人々を殉死させる風習があった。しかし、皇后日葉酢媛命の死に際し、野見宿禰が人身御供の代わりに土製の人物(埴輪)を並べることを進言し、これが採用された。このことで殉死が禁じられ、埴輪が普及するきっかけとなったと伝えられる。
その他にも、相撲の起源とされる野見宿禰と当麻蹶速の力比べの伝説や、不老不死の果実を探しに常世国へ赴いた田道間守の物語など、垂仁天皇の時代には多くの興味深い伝承が残されている。