出典:国土地理院
御祭神の仁徳天皇についてお話しするのじゃ。
いにしえの皇族で、父は応神天皇、母は仲姫命じゃ。ご神徳と得意分野は、
大雀命大雀皇帝
大鷦鷯天皇大鷦鷯尊
大雀天皇難波高津宮御宇天皇
仁徳天皇
大鷦鷯天皇
大鷦鷯命聖帝難波天皇etc...
第16代天皇。4世紀末から5世紀前半に実在した可能性が高いと見られる天皇。
「聖帝」とも称され、特に民衆思いの施政で知られている。天皇が自ら難波の高台に立ち、民家のかまどから煙が上がっていないのを見て民が困窮していると察し、三年間租税を免除したという逸話がある。この施策により民の生活は安定し、「聖帝仁徳」の名を得たとされる。また、土木事業にも力を入れ、河内湖の干拓や港湾の整備を行い、難波津を繁栄させたと伝わる。
一方で、女好きな一面もあるようである。気に入った女性を次々に側室へ入れたがるが、本妻からの嫌がらせを受ける。仕方がないので、嘘の用事を言い訳に都を離れ、気に入った女性のところまで旅行してしまう。
霊廟は、大阪府堺市にある大仙陵古墳とされ、通称は「仁徳天皇陵」である。古墳の規模は日本最大の前方後円墳、世界的に見ても最大級である。
聖帝と称えられた仁徳天皇と、「民のかまど」の伝説は、その仁政を象徴する最も有名な物語である。この逸話は、『日本書紀』などに記され、理想的な君主像を伝えるものとして後世に語り継がれてきた。仁徳天皇が難波高津宮に都を置いた頃、高い丘に登って国全体を見渡すと、民家のかまどから炊煙がほとんど立ち上っていないことに気づいたという。人々が貧困にあえぎ、食事すら満足に作れない状況にあることを悟った天皇は、深く心を痛めた。
仁徳天皇は、その仁政(恵み深く、思いやりのある政治)を称えられ聖帝と呼ばれる一方で、『古事記』や『日本書紀』には、女好きで多くの女性に心を寄せ、皇后の嫉妬に悩まされる人間臭い一面も描かれている。特に皇后の磐之媛命は、その嫉妬深さから激しい感情を表す人物として知られており、天皇との間に多くの逸話が残されている。
仁徳天皇と黒日売の逢瀬は、『古事記』や『日本書紀』に記された、聖帝と称えられる天皇の人間的な側面を象徴する物語である。吉備國の海部直の娘であった黒日売は、その美しさの評判が都にまで届き、天皇の寵愛を受けるために召し上げられた。しかし、仁徳天皇の皇后である磐之媛命は非常に嫉妬深く、黒日売は皇后の激しい妬みを恐れ、ついに故郷の吉備へ帰ることを決意した。
仁徳天皇陵、正式名称を大仙陵古墳といい、大阪府堺市に位置する日本最大の前方後円墳である。エジプトのクフ王のピラミッドや中国の秦の始皇帝陵と並び、世界最大級の墳墓として知られ、2019年には「百舌鳥・古市古墳群」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録された。この巨大な古墳は、全長約486メートル、後円部径約249メートル、高さ約35メートル、前方部幅約307メートル、高さ約33メートルという規模を誇り、三重の周濠に囲まれている。【聖帝と呼ばれた仁徳天皇】
そこで天皇は、三年間すべての租税と労役を免除するという異例の決断を下した。この間、天皇は自らの宮殿が荒れ、衣服もすり切れるままに過ごし、民衆の暮らしが立て直されることを最優先としたとされる。三年後、再び丘に登って見渡すと、今度は都中に炊煙が盛んに立ち上っている。これを見た天皇は、民が豊かになったことを悟り、心から喜んだという。皇后が宮殿の荒廃を嘆き、新しい宮殿を建てるべきだと進言したところ、天皇は「民が豊かになれば、おのずと国も栄える」と答え、民衆の繁栄こそが国家の根本であることを示したとされる。
【仁徳天皇と皇后・磐之媛命の嫉妬】
吉備國出身の絶世の美女、黒日売を召し入れた天皇に対し、磐之媛命は激しい嫉妬を燃やした。黒日売は皇后の嫉妬に耐えかねて故郷へ帰ろうとするが、天皇は船出する彼女を追って歌を詠んだ。これを知った磐之媛命はさらに激怒し、船から黒日売を引きずり下ろさせ、徒歩で国に帰らせたという。
また別の話では、磐之媛命が熊野へ旅に出た留守中に、天皇は葛城襲津彦の娘である八田若郎女を宮中に入れた。帰路についた磐之媛命は、天皇が八田若郎女を迎え入れたことを聞き、都に入ることを拒否し、難波の宮を通り過ぎて山城國の筒城宮へ向かってしまう。天皇が使いを送ってなだめようとするが、磐之媛命は応じず、最終的には天皇が自ら歌を詠んで慰めることになった。しかし、磐之媛命は帰ることなく、やがてその地で亡くなったと伝えられている。
【仁徳天皇と黒日売の逢瀬】
天皇は黒日売の出立を知ると、高台から彼女の乗った船を眺め、未練の歌を詠んだとされる。この歌は、吉備の黒崎を出てゆく娘への想いを伝えるものだが、この天皇の行為を知った磐之媛命は激怒した。皇后は人を遣わして、船に乗った黒日売を追い下ろさせ、徒歩で故郷に帰らせたという。このことからも、磐之媛命の激しい嫉妬と、天皇の気まぐれな恋愛感情に翻弄される当時の女性たちの立場がうかがえる。
しかし、物語はここで終わらない。天皇は皇后を欺き、「淡路島を見たい」と偽って行幸に出た。その実、天皇は黒日売を追って吉備國へ向かい、そこで束の間の逢瀬を楽しんだ。だが、その逢瀬も永遠に続くものではなく、天皇は都へ帰ることになる。この一連の出来事は、仁徳天皇が民を慈しむ聖帝である一方で、女性関係においては激情に駆られる一面を持っていたことを示している。皇后の嫉妬に怯える女性たちの姿や、天皇の嘘までついて逢瀬を楽しもうとする姿は、権力者である天皇もまた、愛憎の感情を持つ人間であったことを物語っている。
【仁徳天皇陵】
この古墳が第16代仁徳天皇の陵墓であるとされたのは、明治時代以降のことであり、現在も宮内庁によってその治定は維持されている。しかし、その巨大な規模にもかかわらず、埋葬されている人物が仁徳天皇であるという確固たる考古学的証拠は存在しない。出土した円筒埴輪や須恵器の特徴から、5世紀前半から半ばにかけて築造されたものと考えられており、この時期は仁徳天皇の治世と重なるが、あくまで伝承上の被葬者である。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。