出典:国土地理院
御祭神の人康親王についてお話しするのじゃ。
いにしえの皇族で、父は仁明天皇、母は藤原沢子じゃ。ご神徳と得意分野は、
人康親王天夜尊山科宮雨夜尊 etc...
父:仁明天皇
母:藤原沢子
平安時代前期の皇族であり、仁明天皇の第四皇子として知られる人物である。
承和年間に親王宣下を受け、四品に叙せられて弾正尹や常陸太守を歴任したが、若くして病のために失明したという悲運の持ち主である。斉衡年間に病を理由に出家し、山科の地に隠棲して自らを「山科宮」と称した。
親王は盲目となった後、この地で琵琶や詩歌を深く愛し、風雅な生活を送ったと伝えられている。この隠棲の地は現在の四ノ宮付近とされ、付近を流れる諸羽川のほとりで管弦を楽しんだという伝説が残っている。
特に、親王が盲目の身でありながら琵琶を修めたという伝承は、後世において琵琶法師や盲目の芸能者たちの間で神格化される要因となった。中世以降、盲目の芸人たちが組織した当道座においては、人康親王を職祖として仰ぎ、雨夜尊(天夜尊)と称せられるようになり、その遺徳を偲ぶ信仰が確立されたのである。
当道座は、中世から近世にかけて日本に存在した、盲人のための自治的な職業的ギルドである。その起源は平安時代の皇族である人康親王を職祖として仰ぐ伝承に求められ、室町時代初期に明石検校によって組織的に整備されたとされる。この組織は、琵琶法師たちが語る『平家物語』の正統な伝承を維持し、演奏の利権を独占することを主目的としていた。室町幕府から公認を受けたことで、座に属する盲人は諸国を自由に通行する権利や、芸能活動における排他的な独占権を認められることとなった。【当道座について】
江戸時代に入ると、幕府の幕藩体制の中に組み込まれ、その組織構造はさらに強固なものとなった。京都に本拠を置く職屋敷が最高機関となり、組織の頂点には総検校が君臨した。内部には検校、別当、勾当、座頭という厳格な四階級の官位が設けられ、盲人たちは多額の納付金と引き換えにこれらの位を取得した。この官位制度は単なる名誉職ではなく、金融業としての側面を持つ「座頭金」の貸付業務など、経済活動における信用を担保する役割も果たした。
当道座の活動範囲は広く、平曲の演奏だけでなく、地歌や箏曲、さらには鍼灸や按摩といった医術にまで及んだ。特に、三味線や琴の普及において盲人音楽家たちが果たした役割は極めて大きく、日本音楽史の発展に多大な寄与をした。一方で、座の規律は極めて厳格であり、所属する盲人たちの生活を保護する反面、位階の売買や利息徴収を巡る腐敗が問題視されることもあった。明治時代に入り、近代化政策の一環として一宮での特権が廃止され、一八七一年に解散を命じられるまで、数世紀にわたり日本の視覚障害者の社会的・経済的自立を支える特異な組織体として機能し続けたのである。
神話や伝承に基づき、個人的な解釈を含みます。